熊本の人へ

日々のこと

熊本で地震が起きた。

その時、最近受けた大学のスクーリングで見た、静岡DWATの動画を思い出した。

DWATとは、災害派遣福祉チームのことである。
大規模な災害が発生した際、社会福祉士や介護福祉士などの福祉専門職が避難所等へ入り、高齢者、障害のある人、子ども、妊産婦など、生活上の配慮を必要とする人を支援する。

授業では、静岡DWATの活動を紹介する動画を見た。

登録された専門職が、災害発生後に初めて顔を合わせ、いきなり支援を始めるわけではない。

平時から研修や訓練を重ね、異なる職種や所属先の人たちが、いざという時に連携できるよう備えている。

動画を見た後には、自分たちの住む地域にどのような災害リスクがあるのか、地盤や地形にどのような特徴があるのか、その地域が持つ強みや利用できる資源は何か、といったことも調べた。

災害が起きてから慌てるのではなく、平時から地域を知り、人と人とのつながりをつくっておく。

それもソーシャルワークなのだと思った。

それでも、私はボランティアが嫌いだった

DWATの活動を知って、立派だと思った。

災害時に専門職として現地へ向かい、避難生活によって生じる困りごとを見つけ、必要な支援へつなぐ。

簡単にできることではない。

それでも私は、もともとボランティアが好きではない。

正確に言えば、ボランティアをする余裕がない。

お金もない。

時間もない。

気持ちの余裕もない。

勤務先に、

「DWATに登録してこい。災害が起きたら行ってこい。その間の職場は任せろ」

と言ってくれるような、気概のある管理者がいるわけでもない。

仮に私が参加したいと思っても、その間の仕事や収入、生活をどうするのかという問題がある。

災害支援へ向かう人にも、当然、その人自身の暮らしがある。

平時から研修や訓練へ参加し、災害が起きれば自分の仕事を調整して現地へ向かう人たちは、どのような思いで活動しているのだろう。

誰かを助けたいという思いが、自分の負担を上回るのだろうか。

それとも、自分にできることを、できる範囲でしているのだろうか。

昔、地域活動やボランティアの担い手となっていたのは、近代家族の中で家庭にいた主婦や、仕事を引退した高齢者だったのかもしれない。

けれど、今は共働きの家庭が多く、定年後も働く人が増えている。

無償で誰かを支えるための時間そのものが、社会から失われつつあるようにも思う。

「いや、私に寄付してくれよ」

募金についても、以前の私は冷めていた。

街頭やテレビで、

「募金をお願いします」

と言われても、正直に言えば、

「いや、まず私に寄付してくれよ」

と思っていた。

別に、ギャンブルや浪費でお金を失っていたわけではない。

若い頃、地方の小さな会社で働いていた時期がある。

当時の給料は、手取りで月に12万円から15万円ほどだった。

実家で暮らしていたが、家には生活費を入れていた。

勤務先の社会保険には入れず、健康保険料や年金も、自分で受け取った給料の中から支払わなければならなかった。

給料を受け取る。

家に生活費を入れる。

保険料や年金を払う。

通勤費や日用品など、自分の生活に必要なものを買う。

それだけで、自分のために自由に使えるお金はほとんど残らなかった。

給料日なのに、お金がなくて困っていた。

そんな人間に募金箱を差し出されても、

「こちらも困っております」

としか思えなかった。

他人に冷たかったというより、自分の生活を維持するだけで精いっぱいだったのだ。

将来を考えることを諦めていた

今も、私はお金に余裕があるわけではない。

むしろ、お金がないから貯めようとしている。

少し前まで、日本では銀行にお金を預けても、利息はほとんどつかなかった。

物価は上がる。

老後に年金をどれほど受け取れるのかも分からない。

以前の私は、将来について真剣に考えていなかった。

正確には、考えることを諦めていた。

心理学でいう「学習性無力感」に近かったのかもしれない。

避けることのできない苦痛を繰り返し受けた犬が、やがて逃げられる状況になっても、逃げようとしなくなるという話がある。

何をしても状況は変わらない。

考えても仕方がない。

努力しても、どうせ抜け出せない。

低い収入の中で生活し、貯蓄もできず、老後の見通しも持てなかった私は、いつの間にか将来を見ること自体をやめていた。

漠然と、

「このままでは、老後は野垂れ死にするのだろう」

と思っていた。

逃げ道がないと思い込んでいたから、逃げ道を探そうともしなかった。

ひどい話だが、将来についてきちんと考えるようになったのは、ういに出会ってからである。

そして大学へ入ろうと決めてから、卒業後の働き方、資格、老後の生活、貯蓄や資産形成について、ようやく真剣に考えるようになった。

大学へ入る。

資格を取る。

働き方を変える。

少しずつ貯める。

すぐに何もかも変わるわけではない。

それでも、自分の未来に手を伸ばしてもいいのかもしれないと思えるようになった。

だから今も、お金は大切だ。

簡単に手放せるものではない。

貧しい時代に始まった赤い羽根共同募金

そんな時に思い出したのが、上野谷加代子先生の授業で学んだ、赤い羽根共同募金のことだった。

赤い羽根共同募金は、単に街頭で善意を呼びかけるだけの活動ではない。

社会福祉法に位置づけられた、第一種社会福祉事業である。

共同募金は、戦後の1947年に始まった。

戦争によって民間の社会福祉事業が財政的に困窮し、それを支えるための資金が必要とされていた時代である。

授業では、共同募金が始まった頃のポスターも見た。

当時の日本人は、今よりもずっと貧しかった。

それでも、共同募金には、現在の感覚から見ても大きなお金が集まったという。

寄付をした人たちも、決して余裕のある人ばかりではなかったはずだ。

自分たちも豊かではない。

それでも、

「自分より、もっと困っている人がいる」

と考え、わずかなお金でも差し出した人たちがいたのだと思う。

そこには、困っている人を放っておかないという、日本人らしい助け合いの感覚があったのかもしれない。

共同募金は、ただお金を集めるだけの仕組みではない。

地域の課題を知り、その解決方法を共有し、活動へ参加し、寄付によって支える。

誰か個人の困りごとを、地域全体の課題として考えるための仕組みでもある。

おやつ一回分なら

もちろん今でも、募金に対する不信感がまったくないわけではない。

赤十字であっても、赤い羽根であっても、テレビ番組の募金であっても、

「本当に必要なところへ届くのだろうか」

「途中で誰かに着服されることはないのだろうか」

と思うことはある。

大きな組織だからといって、無条件に信用できるとは思っていない。

それでも、大学でDWATの活動を知り、共同募金の歴史を学んだことで、少しだけ考え方が変わった。

私は、災害が起きた場所へすぐに向かうことはできない。

無償で何日も活動できるほどの時間も、お金も、生活の余裕もない。

今の勤務先が、専門職として災害支援へ行くことを後押ししてくれるとも思えない。

けれど、おいしいおやつを一回買うくらいのお金なら、募金してもいいと思った。

何千円、何万円と出さなくてもいい。

自分の生活を壊してまで、誰かを助けなくてもいい。

現地へ行けなくても、専門職として活動できなくても、自分に可能な大きさで支援へ参加する方法はある。

おやつ一回分のお金で、誰かの活動を少しだけ支えられるのなら、それも悪くないと思った。

少しだけ成長した

昔の私は、募金を求められるたびに、

「私に寄付してくれよ」

と思っていた。

今でも、自分の生活が最優先であることに変わりはない。

ボランティアが大好きになったわけでもない。

誰かを助けるために、自分を犠牲にしようとも思わない。

それでも、自分の生活を守ったうえで、少しだけ誰かへ渡せるものがあるかもしれない、と考えるようになった。

以前の私は、自分の人生さえ動かせないと思っていた。

逃げ道があっても、そこへ向かおうとしないような気持ちだった。

けれど、大学へ入り、先生の話を聞き、災害支援や地域福祉について学ぶ中で、自分にも選べることがあると少しずつ思えるようになった。

そして、自分の未来へ手を伸ばせるようになったからこそ、その手の中にあるものを、ほんの少しだけ誰かへ渡してもいいと思えるようになった。

人として、ほんの少しだけ成長した部分なのだと思う。

大きなことはできない。
現地へ行くこともできない。
それでも、おやつ一回分くらいなら渡せる。

熊本の人へ。

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