ほどほどに生きてきた人生の中で、なぜか忘れられない人、あとから振り返ると自分に少なからず影響を与えていた人がいる。
私はときどき、
「あ、この人、面白い」
と直感的に感じることがある。
肩書きや経歴を知っているわけでもなく、何か特別なことをされたわけでもない。
ただ、話していたり、その人の言葉を聞いていたりすると、どこかでアンテナがビビッと反応する。
私は勝手にそれを、「人感センサー」と呼んでいる。
そんな人感センサーに、かなり強く引っかかった人がいる。
『精神分析を受けに来た神の話―幸福のための10のセッション―』や『ミストレス―野望の女性史』などを翻訳された、勝野憲昭氏だ。
仕事を通じて偶然出会った人だった。
検索をすれば、それまでの経歴はいくらでも確認できる。
一言で言ってしまえば、ただのエリートである。
ただし、そんなことを知ったのは、ずっと後になってからだった。
私が惹かれたのは、肩書きでも経歴でもない。
とても人間臭くて、頭がよくて、言葉に深みがあって、それでいて茶目っ気のある人だった。
どうやら私は、そういう人に弱いらしい。
父と同じ年齢だったことも、どこか関係していたのかもしれない。
もちろん、若い頃にどんな人生を歩んできたのか、私は深く知らない。
彼と長く関わってきた人たちが、私とはまったく違う印象を持っていた可能性だってある。
それでも、私が知っている彼は、とても魅力的な人だった。
本来なら、難しいことばかりに囲まれて生きてきた人だったのだろうと思う。
けれど、私との会話は不思議なくらい俗なものばかりだった。
くだらないことを話して、笑って、またくだらない話をする。
それなのに、なぜか品があった。
俗な話をしていても、その言葉の端々に深みがあって、優しさや知性がにじんでいた。
難しい言葉を使わなくても、知性というものは隠せないのだと思った。
私は彼を、敬愛を込めて、
「ミスター」
と呼んでいた。
別れを告げる最後の日、私は彼の本に言葉と名前を書いてもらった。
本当なら、もっと長くその人のもとで仕事をしていたかった。
けれど人生には、自分とは直接関係のない誰かの事情やエゴに巻き込まれて、望んでいなくても状況を変えなければならないことがある。
私はこれまで、そういうものに何度も振り回されてきた。
もちろん、自分ではどうにもできなかったこともある。
ただ、それに押し流されず、自分の進む道を守れるだけの強さが、当時の私にはなかったのだと思う。
間接的に関わった人間の強さに押しつぶされ、押し返すだけの力を持てなかった。
だから私は、人生のいろいろな場面で、何度も軌道修正をしてきた。
振り返れば、ずいぶん負け越してきたと思う。
だから今、遅ればせながら思う。
残りの人生まで、負け越したまま終わるわけにはいかない。
誰かを打ち負かしたいという意味ではない。
他人から受ける圧に、自分の人生そのものを押し流されないだけの強さを持ちたい。
そして最後くらいは、これまで自分を支えてくれた人たちへ、何らかの形で感謝を示せる人間になりたい。
そんなことを考えるようになった今、もう一人、人感センサーに引っかかっている人がいる。
『介護人類学事始め―生老病死をめぐる考現学―』や『看取りのドゥーラ―最期の命を生きるための寄り添い人―』を監訳された、林美枝子先生だ。
もともとは大学の授業で知った。
最初の授業では、その分野の歴史について淡々と語られていた。
申し訳ないのだけれど、そのときの私は、
「……ちょっとつまらないな」
と思っていた。
ところが途中から、先生自身の本来の専門分野に話が移った。
すると、明らかに空気が変わった。
話す口調が快活になり、内容が一気に面白くなった。
「あ、この人、この話が本当に好きなんだ」
授業越しでも、それが分かるくらいだった。
そして私が特に惹かれたのは、内容だけではなかった。
言葉の選び方や、話の途中でぽろっと漏らされるエピソード。
その瞬間に、研究者や大学教員という肩書きの奥にいる、一人の人間がちらりと見える。
愛らしくもあり、女性らしくもあり、どこか茶目っ気もある。
そんな人間性が垣間見える瞬間が、とても魅力的だった。
私はまだ直接お会いして話したことはない。
それでも、いつか一度、お話をしてみたいと勝手に思っている。
家でも何度も話題にして、著書も購入した。
勝野憲昭氏と林美枝子先生。
二人はまったく違う人だ。
けれど、私の人感センサーが反応したところには、どこか共通点がある気がする。
頭がいい。
言葉にその人自身が表れる。
人間臭さがある。
そして、少し茶目っ気がある。
大きな成果を残してきた人たちであることは確かだ。
けれど、私が魅力を感じるのは、成果そのものより、その奥にいる「その人」なのだと思う。
人生の中で、そういう人と関わることができたこと。
あるいは、まだ直接関わっていなくても、「もっと知りたい」と思える人に出会えたこと。
それ自体が、私にとっては財産なのだと思う。
人は、誰かの言葉や生き方を、本人が思っている以上に受け取って生きている。
私もいつか、誰かの人感センサーに、ほんの少しくらい引っかかる人になれるのだろうか。
少なくとも、これまで出会った人たちから受け取ったものを、何も残さず終わりたくはない。
そんなことを、最近は思っている。



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