いつか、自分の番が来たとき

仕事のこと

介護の仕事をしていると、看取りに関わることがある。

最初に勤めた特養でも、人が亡くなったという話を聞くことはあった。

でも、その頃の私はまだ、それをどこか「そうなんだ」と受け止めていただけだった。

自分が介護士としてちゃんと関わった利用者さんが、初めて亡くなったとき。

そのときだけは、なぜか涙が止まらなかった。

その人は、正直に言えば、ものすごく面倒くさい利用者さんだった。

長い期間関わったわけでもない。

特別な愛着があったわけでもない。

「大好きだったから悲しかった」というような、分かりやすい理由でもなかった。

それでも、亡くなったと知ったとき、どうしても涙が止まらなかった。

たぶん、その人が私にとって、介護士として初めてまともに介護をした利用者さんだったからなのだと思う。

でも、本当のところは今でもよく分からない。

ただ、泣いた。

そのあと、周囲にいた非常勤の職員から、どこか馬鹿にするような目で見られた。

それから私は、仕事で利用者さんが亡くなっても泣かなくなった。

だから、亡くなるたびに涙を流してきたわけではない。

あの一度きりだった。

それから看取りを何度か経験した。

今では仕事だと思えば、かなり冷静でいられる。

何をしなければならないか。

ご本人に必要なことは何か。

ご家族にどう関わるか。

そういうことを考えている間は、自分の感情を少し脇に置いて動くことができる。

ある意味では、仕事としての看取りには慣れたのだと思う。

けれど最近、ふと考えるようになった。

これが、自分の親だったらどうなるんだろう。

今、職場で看取りを迎えようとしている方がいる。

娘さんたちは、ほとんど毎日のようにお母さんのそばにいる。

なかでも長女さんは、仕事をしながら夜も付き添い続けている。

ほんの短い時間だけ家に戻り、用事を済ませて、またお母さんのところへ戻ってくる。

日に日に疲れていることは、見ていれば分かる。

それでも、離れない。

長女さんの話を聞いていると、不思議なくらい自分と重なるところがあった。

未婚で、仕事をしている。

仕事の仕方にも、自分なりのこだわりがある。

無理をしてでも、自分がやると決めたことを続ける。

若い頃には、かなり派手にやっていた時期もあって、親に反発していたこともあったという。

妹がいて、妹には子どもが二人いる。

家族の構成まで、どこか自分と似ている。

だからなのかもしれない。

その長女さんを見ていると、ときどき、まるで自分を見ているような気持ちになる。

そして思う。

もし私が同じ立場になったら、きっと同じことをする。

もし母が亡くなりそうだと分かったら、私はそばを離れられなくなると思う。

それは、ただ母親が大切だから、というだけではない。

私は今まで、両親に何を返せただろうと思う。

まだ何も返せていないような気がする。

自分の将来だって、まだ完全に安定しているとは言えない。

大学を卒業して、資格を取って、その先を作って。

前には進んでいる。

けれど、両親に「もうこの子は大丈夫だ」と完全に安心してもらえるところまでは、まだ行けていない。

今でも、彼らの気がかりの一つは私なのだと思う。

その自覚がある。

だから、もし本当に別れが近づいたら、

まだ返していない。

まだ安心させていない。

まだ何も終わっていない。

そんな思いが、一気に押し寄せてくる気がする。

1年半ほど前、父が大きな事故に遭った。

一時期はICUに入っていた。

大学病院へ車で向かっていたとき、母の電話に病院から連絡が入ったことがある。

呼吸が止まった、と言われた。

母は泣きそうになっていた。

だから私は、できるだけ冷静に言った。

「まだ、分からない」

そのときは、私まで取り乱すわけにはいかないと思った。

母が崩れそうなら、自分は冷静でいなければならない。

そう思っていたのだと思う。

実際、私はかなり冷静でいられた。

だから、本当に親を看取ることになったとしても、私は案外冷静に動くのかもしれない。

必要なことを聞いて、判断して、家族に連絡して。

介護の仕事で身につけたことを使いながら、淡々と動くのかもしれない。

でも、

冷静でいられることと、そばを離れられることは、きっと別なんだと思う。

必要なことを全部やりながら、それでも私はそこにいる気がする。

眠れなくても。

仕事があっても。

身体がきつくても。

「もう少しだけ」と思いながら、そばにいるのだと思う。

今はまだ、両親が生きている。

だから私は、どこかで安心している。

まだ時間がある。

まだ大丈夫。

そんなふうに思っている部分がある。

でも、目の前で誰かが親を看取ろうとしている姿を見ると、その「まだ」が急に心細くなる。

その人の姿が、自分とあまりにも似ているから。

彼女の今が、いつかの私のように見えてしまうから。

そのとき私はどうするのだろう。

ちゃんと受け止められるのだろうか。

それまでに、少しでも両親を安心させることができるのだろうか。

まだ分からない。

仕事では、看取りに慣れた部分がある。

けれど、自分の親を看取ることに慣れることなんて、たぶんできない。

そして、その日がいつ来るのかも分からない。

だからこそ、

まだ「まだ」と言える今のうちに、

少しでも返せるものを返していきたい。

少しでも、

「大丈夫だよ」と思ってもらえる自分になりたい。

今、目の前にいる長女さんを見ながら、

そんなことを考えている。

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